ごあいさつ
公花の筆文字屋の店主をしている足立と申します。
心がふわっと軽くなるような筆文字作品と、見たらニコッとなるヒノキのお地蔵さんを『おっちゃん』と2人で作っています。
『ゆったりした時間が流れる癒しの場』を作りたいと思い、2023年の夏にギャラリーショップをOPEN。
築100年程と思われる古民家を大工さんの手を借りつつ、できるところはDIYで完成させました。
リフォーム費用の一部はクラウドファンディングで、多くの方から応援いただきました。
不定期営業ですが「行ってみたいな」「また行きたいな」と思っていただける空間を目指しています。
筆文字屋の原点
私は生まれも育ちも兵庫県丹波市(旧 氷上郡)です。
丹波市の居心地が良く、都会に出たいとは思いませんでした。
そして25歳で結婚し3人の子宝に恵まれました。
…が、第一子の息子(現在21歳)は夜泣きがひどく3歳頃まで続きました。
保育園の頃から集団に馴染みにくかった息子。
幼稚園の頃には朝から追いかけまわし、無理やり車に押し込んで、羽交い絞めにして登園させていました。
子ども達 4歳・2歳・0歳の頃
小学1年生の時も不登校気味。
担任の先生からは「不登校は親の愛情不足」と言われていました。
当時の世間は今ほど不登校に関する知識も認識もなかった時代。
私は相談する機関も知らず、同じ境遇のママ友もなく、かなり孤立していました。
夜泣きの頃は夜が来るのが怖くて、不登校の頃は朝が来るのが怖かったです。
心の支え
その頃に友人がくれたカレンダーが後に私の人生を大きく変えてくれました。
御木幽石(みき ゆうせき)さんの日めくりカレンダー。
優しいタッチのイラストと、温かい言葉が文字通り私の心を支えてくれました。
一番心に刺さったのが毎月21日にやってくる
『やなまい雨なんてないんだから
あしたはきっと晴れるから』
でした。
幽石さんの日めくりカレンダー
小学5年生の秋、糸が切れたようにプッツリと学校へ行けなくなった息子。
その頃はすでに私と同じくらいの体格になっていました。
もう羽交い絞めにして連れて行く事はできません。
一度だけ無理に車に乗せたら、普段穏やかな息子が校門の手前で暴れだしたのを見て
「これ以上無理強いすると、この子の心が壊れてしまう」
と恐怖を感じました。
15年以上たった今も同じカレンダーを使っています
その頃には相談する機関や応援してくれる人も徐々に増えていましたが、やっぱり毎日見る幽石さんのカレンダーの存在は大きかったです。
幽石さんのカレンダーは息子の不登校だけでなく、私自身のアトピー性皮膚炎、あらゆる組織の中で生まれる人間関係など、いろんなシーンで私を癒してくれました。
居場所をみつけた
息子はようやく『義務教育』という重い枠から飛び出すと、市外にある通信制の高校に温かく迎え入れていただきました。
そこに親子ともに居場所を見つけたんです。
「居てもええよ」ではなく「待っとるよ!」という先生方の想いに感謝の気持ちでいっぱいでした。
息子はバイクの免許を取り、まさに『水を得た魚』のように自分の世界を泳ぎだしたのです。
私も積極的に保護者会等に参加し、自分や息子の経験を話し
「不登校児を抱えるお母さんの力になりたい」
と思っていました。
筆文字との出会い
息子が自分の世界を泳ぎだした頃「私も何かしたい」「人に喜んでもらえるような何かを」と思うようになりました。
それが何かわからず悶々としていましたが、ある時お店で『筆文字教室』のポスターが目に留まりました。
以前、独学で少しだけ書いた事がある筆文字。
「ちゃんと習ってみるのもいいな」と、改めて好きな字を書かれる先生を探しました。
そして車で往復3時間かけて2回だけ習いに行きました。
その教室で書いた作品をお世話になった方にプレゼントしたら、すごく喜んでいただけて「こんなに喜んでもらえるんや」と驚きと喜びでいっぱいでした。
初めての筆文字教室
それから筆文字にはまりました。
その頃に趣味として自分の筆文字を記録するためにインスタグラムを始めました。
今のアカウント(@hamu_ka)です。
これが2018年の年末のこと。
お地蔵さんとの出会い
筆文字を書いていると、ある日
「幽石さんのようにお地蔵さんを描いてみよう」
と思いつきました。
そしたら割といい感じに描けました(笑)
それをお世話になっているYさんにプレゼントしました。
Yさんに贈った作品
それだけでは物足りなくなり、幽石さんのお弟子さんがされている墨彩画教室を見つけて参加しました。
教室はなんと徳島県。
車で往復5時間かけて、ここにも2回通いました。
徳島の墨彩画教室と私の作品
この教室では『顔彩』という画材を使っていましたが、私は横着者なのとオリジナル性を出すために筆ペンとパステルを使う事にしました。
墨彩画の先生を通じて幽石さんに私のお地蔵さんを見てもらう事ができて、本当にうれしかったです。
こうして私の筆文字にはお地蔵さんが登場する事になりました。
公花の筆文字屋 誕生
前回、お地蔵さんの絵をプレゼントしたYさんから「イベントに出てみーひん?」とお声かけいただき2019年3月21日に丹波市で初出店。
筆文字を始めてからわずか3ヶ月のこと。
屋号もなく、その時はスタッフさんに『KIMICA』という仮名をつけてもらって出店しました。
初めて出店したイベント
色んな個性や凸凹を持った人達の場を作るためのYさん主催のイベント。
ビックリするくらい多くの方が私の筆文字を求めてくださいました。
帰り際、スタッフさんに「次はいつ出店するん?」と聞かれた私は「機会があれば」と答えました。
するとその方は「機会は自分で作るもんやで!」と。
この言葉に衝撃を受けて、翌月から自分でイベントを探し申し込むようになっていきました。
ショップカード
屋号を決めるのは本当に悩みましたが、本名の『きみか』と娘達の名前につけた『花』を混ぜて『公花』としました。
木のお地蔵さんのこと
当初は筆文字作品だけでしたが、そこに木のお地蔵さんが加わりました。
私が筆ペンで描くお地蔵さんを見て「立体になったらおもしろいんちゃう?」と、通称『おっちゃん』が名乗りを上げたのです。
もともと和太鼓仲間だった事もあり、おっちゃんは太鼓のバチを手作りしていました。
その経験を活かし、1本の木からお地蔵さんの形を削り出して、それに私が顔を描いて命を吹き込んでいます。
最初は1種類だけだったお地蔵さんも今では何種類あるのか分からないくらいバリエーション豊かになりました。
初めてイベントに出店した木のお地蔵さん
ギャラリーショップを持ちたい
趣味の記録のために始めたインスタグラムは、すごい勢いでフォロワーさんが増えました。
ただの主婦のつぶやきに「こんなに共感してくれる人がいるなんて」と今でも思っています。
それと比例して、遠方からイベントに来て下さるお客様が増えました。
私もできる限り遠くの地で出店したいと思うようになり、京都・大阪・福岡・石川とどんどん範囲を広げていきました。
イベント出店の様子
ありがたい事にどこへ行ってもお客様には喜んでいただけました。
でも、イベント出店では展示販売する筆文字やお地蔵さんの数も限られています。
どこのイベントでも他の出店者さんより荷物がかなり多く、一番早く準備を始めて片付けは一番最後。
忙しく販売に追われる事が多いので、お客様とゆっくりお話する事もできません。
イベントはほぼ土日のため、土日がお仕事の方にはお越しいただく事もできません。
イベント出店の様子
私がしたかったのは、作品をただ販売する事ではありません。
お一人お一人とゆっくりお話がしたい。
私の作品で癒しを感じてもらえるなら、じっくり見てほしい。
イベントには展示できない大きな作品も並べたいし、準備や片付けの時間を気にする事なく平日の数時間でもOPENできる場所が欲しい。
そんな風に思うようになりました。
癒しの場をつくりたい
この度、ギャラリーショップを開くため巡りあえた物件は古すぎて詳しい建築時期の資料が残っていません。
おそらく昭和初期ではないかという事です。
私がお借りするスペースは近年改装され事務所として使われていました。
事務所として使われていた部屋
ここ数年は使われていなかった事務所をリフォームして、あえて古い建具や古い家具を持ち込み、公花の筆文字屋のギャラリーショップとして新たなスタートです。
どこか懐かしく、ほっと癒される空間になればうれしいです♪
不登校新聞
不登校新聞社さんから取材を受けました。
web上で記事全文を読んでいただけます。
ギャラリーショップのこと
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